どうでもよくない日記

とりとめない日記です。

子どもとわたし 続き

最近少しずつだけど、気持ちの面で楽に過ごせる日が増えてきたので、なにか日課をもとうと思う。なるべくブログもたくさん書きたい。どうでもいいようなことも、何でも気兼ねなく書いてみたい。とにかく続けるということをしてみたくなったのだ。

それに伴って少しブログタイトルを変えました。あんまり力入れず、日記的に続けられたらなと思って。

 

 

前に、自分は「お母さん」になったのか?という問題に関して書いたけど、その続き。

1歳半を過ぎた頃、おかしゃん、と呼んでくれるようになった。

なんかよくわからないけどいつも近くにいる得体の知れないやつ、からレベルアップしたような気がする。

 

子どもは場所見知りも人見知りもせず、周りの人に愛想を振りまいたりして、怖がるどころか積極的に場を楽しむタイプで、わたしがちょっと離れてもさほど気にしていないようだった。頼もしく思うと同時に、一抹の寂しさもあった。

 

 

おかしゃん、と呼んでくれるようになって間もない頃、病院で診察室に入った途端大泣きし始めたことがあった。

長い診察待ちで疲れたのと、眠いのとが一気に爆発したのだろう、何とかあやそうとするがなかなかおさまらない。あまり大きい声で泣くので先生の話が聞こえず、看護師さんが暴れる子どもを抱き上げ部屋の外に連れ出してくれた。先生と話を終え、慌てて看護師さんのもとへ行くと、子どもは「おかしゃんいたああ〜」と言って抱きついてきた。

えええ、普段のあっさりした態度とまったく違うぞ?かつてこんなに甘えられたことがあったろうか??戸惑いつつも、抱っこしてなだめると、子どもはだんだん落ち着いてきた。

 

その後、時間差でじんわりと理解した。わたしはこの子の中で、お母さんになったんだな。甘えられる人だと思ってくれたんだな。

 

 

子どもはぐんぐん成長していくのに、わたしはダメなまま全然成長がないと思っていた。でも、子どもはわたしを認めてくれた。

弟子入り志願でやってきたものの、けんもほろろに断られ、身辺の雑用ばかりさせられていたやつがようやく弟子として認められた、みたいな感慨がある。子ども師匠!

 

呼び名は存在を肯定することなんだな。わたしも子どもの名前をたくさん呼ぼう。