どうでもよくない日記

とりとめない日記です。

親子のバランス

しばらくブログを書かないでいるうちに、子どもは5歳、年長さんになった。

最近、手加減しなくてよくなったなと感じる。

カードゲームなんかも普通に負けちゃうし、走るとスピードがほぼ同じ(わたしが鈍足なのもある)、テレビも親の好きなのつけてても平気、何なら一緒に楽しんでくれる(以前は嫌がって即消された)。

とにかく話の通じる一個人という感じが日に日に強くなる。幼児期の終わりが近づいているのを感じる。

 

子どもが生まれてからこの方、ずっと意識している、というか意識せざるを得ないことがあって、それは親と子の力関係のバランスだ。

子は生まれた時点で、親よりも明らかに弱い。子は何も持たずに生まれてくるから当たり前だ。腕力も知識もお金も何もかも親には敵わない。それを意識していないと、小さい命は繊細すぎて、壊してしまいかねない。乳児期のことを思い出すと、とにかくいつもハラハラしていた。わたしの行動ひとつでこの人の命が左右されかねないのだと。

 

何もかも親がしてやらないといけない時期を過ぎて、自分で歩き、自分で食べ、排泄し、とできるようになるうちに、そのハラハラは無くなっていく。それと同時に、子どもを信頼して、任せなくてはいけない場面も出てくる。成長とともに力関係のバランスは変わっていくのだなと実感している。もっと大きくなっていけば、この力関係は逆転するわけで、いつかその日が来ることを理解した上で子どもとつきあっていかないといけないなと思う。

 

力関係のバランスということでいうと、現時点で難しいのが、子どもに決めさせるということについて。

ランドセルだの習い事だの、本人の意志を確認して何か大事なことを決めなければいけない時、いつもモヤモヤしたものが残る。もう5歳、自分で決めるという経験はとても大事なんだと思う。それはたしかにそう。でも待てよ、まだ5歳の子どもに責任を負わせてしまっていいのだろうか?

「自分で決めたんだから大事にしてね」とか、つい言っちゃいがちなんだけど、そもそも、知識も経験も圧倒的に足りない子どもに決めさせるって、どうなんだ?大人の責任の放棄ではないか?

なんか口が達者になってきたから、よく理解してるような気がするけど、全然そんなことない。「紫が好きだから」とか「お友だちとおそろいだから」くらいしか判断材料がない。

選んだその先でどうなるか想像してから決めろなんて無理。そもそも経験も知識もないのだから想像しようがない。それで「やっぱりやだ〜」と言いはじめたとしても、何で責めることができようか。

もちろんお金を出す側として少なからず腹は立つものの、「だからよく考えて選べって言ったでしょ!」「自分で決めたんだから我慢しろ!」などと言って責め立てるのは、あまりに大人の勝手でかわいそうだよなと思ってしまう。

(いやだって、親の自分だって、ほんとによく考えて買い物してるのかって話ですよ…)

 

もちろん、子どもに決定権を渡すなと言ってるわけではない。ランドセルはまだ買ってないけど、子どもの決めたものにするつもりだ。「やっぱりやだ〜」と言い出したら…どうするかなあ。「自分で決めたんだから」は、言いたくなっちゃうけど我慢して、なんとか説得するかなあ。結局は、一個人として子どもの意志を尊重しつつも、まだ幼い部分のサポートを最大限やっていく、というのが今の親としての役割なのかな。親子関係って常に変化していってて、難しくも面白いなあと思う。

 

そもそもランドセルってなんで必要なのか?選択肢多すぎない?なんでこんな早くから決めさせるん?つまりはラン活めんどくさいよ〜という愚痴でした。