どうでもよくない日記

とりとめない日記です。

子どもとわたし

子どもが産まれてもうすぐ1年3ヶ月。子どもはすごいな、と思う。右も左もわからない親のもとでもしっかり成長してくれる。強い、たくましい。

この人は明るい。人見知りもしないし、おどけた顔をしたり、歌ったり踊ったり、人を喜ばせたいというサービス精神がある。私にはない人の良さのようなものがあり、尊敬してしまう。

あれもこれも世話をしなければ、ちゃんとやらなければ、と義務感ばかりに急き立てられていた時期を越えて、一緒にいて楽しい、という感覚が出てきた。ありがたいことだなあ、と思う。

 

ところで、自分が「お母さん」であることに未だにしっくりきていない。子どもに声をかける時、自分のことを「わたし」ではなく「お母さん」と言ってはみるけれども、なんともふわふわしている。

 

いつ母になったかといえばお腹の中にいた頃からそうなんだろうけど、妊娠中も産後もわたしという人間はわたしのまま。

生活はもちろん一変したけれど、好きなものも変わらないし、苦手なことも苦手なまま。突然何でもできる超人みたいになったりしない。当たり前だけど。

お腹の中に人がいるのも、産まれたての人が四六時中そばにいたりするのも、自分の人生史上なかなかの非常事態であり、当然それに伴いやるべきことがどんどん押し寄せてくるので、なんとか対応に奔走するのみという感じで。

体も心も常に密着し、自分も子どももいっしょくたになったような日々を過ごす中、例えば小児科に行ったりすると「お母さん」と呼ばれるわけで、おおそういえばそうでした、と思う。いろんな公的な書類にも、わたしの名前の横に「続柄:母」と書いたりする(なぜか緊張する)。それを繰り返しているうちに、何となくわたしはお母さんになった。なったのか?正直よくわからない。なんとなくママではないかな〜とか思って「お母さん」にしたけども、まだ馴染んではいないのだ。

 

わたしはわたしで全然変わりなく、妊娠出産により付属パーツとして「母」というのがついてきた感じなのだが、それがいつしか心身に根をはって、血となり肉となり、しっくりわたしに馴染む日が来るのかしら?

この人がことばをしっかり喋るようになったら、たぶんわたしのことを「お母さん」と呼ぶだろう。その時にお母さんになれるのかしら?

 

 

そんなことどうでもいいじゃないとばかりに、子どもはわたしにしがみついてくる。絵本を読んでくれとねだる。笑う。たったか歩いていく。転んで泣く。忙しい。

すでに一個人として、心身をめいっぱいフル稼働して、誇り高く生きている子どもをまぶしく思う。

お母さんかどうかはまあおいといて、その輝きをそばで見てる人、ということでいいかなあ。とりあえずは。