絵本記録6
自分のガッツが足りないがゆえに、今まであらゆる知育的なことを諦めてきたが、絵本の読み聞かせだけは続いている。わたしも絵本は好きだし、子どもも赤ちゃんの頃からわりと楽しんでくれるので、まあうちにはこれが合っているのだろうと思う。苦労という苦労はないものの、夜どうしても寝たがらず15冊くらい読まされたり、図鑑を一文字も余さず読まされたり(飛ばして読むと即指導が入る)、もう飽きちゃって明らかに聞いてないのに、読むのをやめたらギャーッと怒り出したりということもあった(今も時々ある)。
最近は話の内容をよく理解できるようになったり、絵の細かい部分まで見て発見したことを教えてくれたり、絵本を通してのやりとりが一段と楽しくなってきた。あとかんたんな本なら自分で音読できるようになった。自分で全部読めるようになったり、親の選んだ本なんて読んでらんねえよとなるのは、いつ頃なんだろうか。もうそんなに遠くない将来だろうか。
「きょだいなきょだいな」(長谷川摂子/降矢なな)
「あったとさ あったとさ」ではじまる、リズム良い文章。突然野原に出現した巨大なピアノ、びん、トイレットペーパー…。100人の子どもがやってきて、さてどうなる?シンプルだけど、ワクワクしてくる。子どもたちがイキイキ遊ぶ姿がとってもいい。子どもはこの文章のリズムが気に入ったらしく、オリジナルの「あったとさ」を作って遊んでいた。それがこれ↓
「あったとさ あったとさ/ひろいのっぱら どまんなか/きょだいなにんじんあったとさ/こどもが100にんやってきて/うさぎになって たべたとさ」
これは無条件に笑ってしまう。思いっきりふざけて読むと大ウケ。表紙にもいるこれは、カニなのか?わからないけど、ずっとけなげに「ツンツン」と言い続ける姿が、なぜか愛らしく見えてくる。元永さんの絵は「もこ もこ もこ」「もけら もけら」などの絵本もそうだけど、ことば以前のことばというか、意味のないことばと相性がいい。絵本の最後に解説があり、
この絵本のことばは、作者の金関寿夫さんが、ご自身で創り出したことばと、様々な形ですでに存在していることばの響きとを、自在に組み合わせてできたものです。
とのこと。そこに記された全文を読むと、ただ笑って読んでいた無意味なはずのことばの羅列が、どこかの国の民謡や、壮大な叙情詩?叙景詩?のようにも感じられるのが不思議だ。しかし歌だろうが詩だろうが子どもには関係ない、ただことばの面白さを楽しむのみ。子どもにとってのことばは、意味から解放されて自由なものなんだなと思う。その軽やかさは、大人が再び身につけようと思っても難しい。うらやましい。