絵本記録2
絵本のキュレーションというのは本当に難しい。子どもの好きそうなものと思ってもウケなかったり、むしろこれはダメだろと思ってたものがめちゃくちゃウケたり…。これはウケるだろうけどあんまり読ませたくない!というものもあるし、名作だから間違いないだろうと思っても時代を経て受け入れづらくなってたり表現がどぎつかったりすることもあるし、わたし自身も気づかないうちに古い価値観を刷り込んでしまっている可能性もあるし…日々葛藤と試行錯誤である。
でもまあ基本的には楽しく読めればOK、変なとこにはなんじゃそりゃ!そんなわけあるか!と子どもといっしょにツッコみながら読むというのもいいのかも。今日はそういう価値観両極端揺さぶられ絵本を2冊。
「おならのしゃもじ」(小沢正/田島征三)
御多分に洩れず下ネタ大好き期の子どもにウケるかしらと選んだこちら。おならを自由自在に出させる不思議なしゃもじでのしあがっていく男の物語で、バカバカしくて面白いんだけど、長者どんの娘さんが不憫すぎる!なんも悪いことしてないのに突然おならが出まくるようになり、治せる人を探すためとはいえ周囲に喧伝され大恥かかされ、治ったらその恥の大元である男と結婚させられ…。男がしゃもじの力でお金持ちになっていくまではいいにしても結婚はもうちょっと自分でなんとかせえやと思う。子ども、結婚に関してこの価値観を是としないでくれ〜。ただ子どもには本当にめちゃウケた。田島征三さんの絵がすばらしくよい。
「お姫様の大集会」(リスベット・ルナルディ/セリーヌ・ラムール=クロッシェ/訳:野坂悦子)
子どもは下ネタも大好きだけどお姫様も大好き。表紙を見て子ども自身が選んだけど、結果あんまりハマらなかった絵本。当然でしょう美しく着飾ってニコニコ微笑むプリンセスはここには登場しない。しかし母はけっこう感銘を受けた。いろんな物語に登場するお姫様たちが集まって、自分たちに一方的に強いられた苦労や重責を怒りと共に吐露するという内容。「王子さまが演じるのはらくな役ばかり。みなさんも、気づいていたでしょう?」いや〜痛快。そりゃそうよ今はこうでなくちゃ。対象は5〜6歳からのようだけど、うちの子もそれくらいになったらまた感想が変わるのかな?
絵本記録1
読んだ絵本について記録してみようかなと思う。
子どもは今4歳。うちでは2週に一度、図書館で15冊くらい借りてきて、その日のうちに全部一緒に読む。あとは子どもがひとりでパラパラと読んだり、寝る前に3〜4冊ずつ読んだり。借りる絵本のチョイスは基本的には子どもにまかせるけど、5冊くらいは私の好みや読んでみたいもの、名作ものを入れる。一応子どもの好みを考慮に入れた上で選んでいるつもり。あとそのとき興味のあるものをなるべくタイミング逃さず選ぶ。1年くらい前はベイビーシャークに激ハマりしていたので、サメ関連の本をよく借りた。
まずは今借りている絵本から。
わたしが小学生の頃、国語の教科書に載っていた作品。最後のシーンげんきになったおかあさんとみんなで力こぶポーズをとる絵が妙におかしくて友達とゲラゲラ笑っていた記憶がある。最近お料理のお手伝いをしてくれるようになって、まさにトマトやきゅうり、レタス、ハムなどを切れるようになったので、面白がってもらえるかなと思って選んでみた。ゾウがアフリカから来日するシーンと最後の力こぶポーズはやはりウケていた。長新太ものはわたしが好きなので毎回1冊は借りちゃう。
ノンタンシリーズの作者。子どもはノンタンシリーズが好きなので、これはどうかしらと借りてみた。2000年刊行とのことで、ノンタンもそうだったけどこの頃のキヨノサチコ作品はぶっ飛んでる。なんの教訓もなくはちゃめちゃで、でも子どもはゲラゲラ大笑い。うちの子はわりと誰かがひどい目にあう話が好きである。
牛乳パックがわたしを救う(か?)
牛乳パックを集めている。目標は34本。もう26本溜まった。
子どもがトイレで使う踏み台を作るためだ。
今時100均でもそこそこ良い踏み台は手に入る。可愛い踏み台、安心安全な踏み台もちょっと検索すればザクザク出てくる。それはもちろん知っている。
でも作りたいのだ。完成させたいのだ。無駄だと承知の上でそれでもやりたい。
子どもが生まれてからとんと、達成感を味わうということがない。
現在専業主婦で収入もなく、これといって得意なこともない。
育児や家事で達成感を得るのは難しい。
こだわってやろうとするとまずキリがない。
栄養たっぷりのご飯を作り、家はいつもピカピカ、おやつも手作り、余計なものを置かず、おもちゃは精選したものだけを与え、知育にも力を入れて…
そういう理想をわたしも最初は持っていた気がする。
しかし実際のところ(特に育児は)頑張ったら頑張っただけ何か返ってくるかといえばそうとも限らず、先の見えない道をずーっとこのまま頑張り続けるのかと思うとやっぱりつらいものがある。
それでも子どものために、家族のためにと頑張れる人もいるだろう。趣味として楽しんでやれてしまう人もいるだろう。
でもそもそもわたしに雑念が多すぎる。あれもやりたいこれもやりたいのにできない、ですぐウワーッとなってしまう。
裁縫は好きだけど、子どもを見ながら針仕事は難しい。毎日少しずつやるというのが苦手で、集中してガーッと一気にやりたいので、いざやるとなると4〜5時間は1人にしてもらわないといけない。で、やったらやったで達成感こそ得られるが、めっちゃ疲れる。翌日以降の育児に響く。もう、それならやんなくていいや…と諦める。
そういうことが続くと、やがて無力感に苛まれる。外で稼ぐでもない、凝った料理を作るでもない、片付けも掃除も完璧でない、子どものために頑張ってると胸を張れるような親でもない、かといって自分の好きなこともろくにできない。じゃあわたしって何のためにいるんかね?とすら思う。
そこでだ。ちょっと「牛乳パック 手作り おもちゃ」とかで検索してみてほしい。無限の可能性とはこのことか!ありとあらゆるものが作れてしまう。お金もかからず、作るのが難しくなくさして時間もかからず、おまけに子どもも喜んでくれるかも、ときたらやるっきゃない。
実際あらゆるものを牛乳パックで作った。バッグ、コマ、ブーメラン、ほうきとちりとり、いちばんの大作はコッシーの形をした椅子。子どもは喜んでくれることもあるし、興味ゼロなことも多々。でも自分は作れた時点で満足なので構わない。
ダサい、安っぽい、子どもにも大してウケないなど多くの欠点をカバーして余りある、なにかを作りたい、完成させたいという欲求に、今のわたしは突き動かされている。誰の承認も賞賛もなくていい。ただ牛乳パックで何かを作りたい。
手を動かすということは大事だなと思う。ただ作業に没頭できる時間をほんの少しでももつ。それだけで無力感を忘れられる。もちろんそれで誰かが喜んでくれたり対価を得られたりしたらもっといいだろうけど、そうでなくてもいい。今はとにかく、牛乳パックで踏み台を完成させることを楽しみに生きている。それでいいと思う。大きなことを成し遂げなくても、ちょっとずつ生きようと思う。
きっとずっとあっぷあっぷ
子どもの成長=母親の成長ではないということに最近気づいた。
少し前まで2歳児3歳児のお母さんというと、乳児期の艱難辛苦を乗り越えたすごい大先輩に感じていたものだけど、今自分が2歳半の母親になってみると、たしかに乳児期は越えたものの、全然まったくちっともすごいなんてことはなく、毎日毎日悩んで苦しんでなんとか息ができるくらいのあっぷあっぷ状態なんだった。
そして恐ろしいことに、時間が経つとすっかり忘れる。あんなに苦労した乳児期のお風呂、どうやってたか忘れた。首の座らない子の着替え、もうできる気がしない。あの頃の自分のほうが乳児の扱いに関しては間違いなく上なのだ。
抱っこで寝かしつけるスキルをどれだけ磨いても、子どもが長時間抱っこできる体重を超えてしまうともはや役に立たない。離乳食期に喜んで食べてくれたものも2歳になると見向きもしなくなる。毎月成長する乳幼児期の子どもを相手にしていると、そんなことばっかりだ。イヤイヤ期になるとより顕著で、昨日OKだったものがNGに、かと思うと次の日はまたOKに。これで万事解決!ということが永遠にない。がっくり。でもひとつひとつの努力やあがきが無駄だったわけでは決してなく、その都度直面する問題に必死に取り組んだ結果だったわけで。
母親3年目ということにはなるけれど、0歳の母親、1歳の母親、2歳の母親としては、それぞれ1年目の初心者なんじゃんか、と今になって思う。3歳になっても18歳になってもきっとずっとあっぷあっぷだ。その時々で悩みながらやるしかない。
そんな母親を尻目に、子どもは見事に人間としての経歴を積み上げているのがすごい。めちゃくちゃ成長してるもんなあ。
■
近隣の子育てひろばが全て閉鎖されてしまった。常に誰かが居てくれて、おしゃべりもできて、子どももいろんなおもちゃで遊べて、読み聞かせや歌、たまに手作りおもちゃももらえて、無料で数時間過ごせる、本当にありがたい場所が、一時的にとはいえ、なくなってしまった。参った。
子どもは絵本が好きなので、図書館に通いつめちゃおうかな…と思ったら「すみません、未就学児の長時間の利用は避けるようにお願いしておりまして…」と言われてしまってすごすご帰ってきた。外は猛烈な風雨。参った。
ずっと家の中はつらい。誰も居ないし。一対一でちゃんと相手をしないといけないプレッシャーがある。ごめんねこんな風に思ってしまって。ずっと遊んであげられるなんて幸せ!と思えなくて申し訳ない。
来週は暖かく、天気も良くなりそうだから、公園で思いっきり遊ぼう。それまでなんとかがんばろう。気分が塞ぎがちで良くない。元気でいなければ。
わからなくなってきた
子どもがギャーとなるのを極力避けたい。
だから、あっちに行きたい、これが見たい、それ食べたい、あらゆるご用命に出来る限りお応えする。と言ってもこちらの都合もあるわけで、何でもかんでも言いなりになる訳にはいかない。それはできない、と直接言うと即アウトだから、あれはどう?これはどう?あっ、あれは何!?とかあの手この手で気をそらす。それでもギャーは絶対にある。避けようがない。
こんなことくらいでイライラして自分はおかしいのでは?こんな場当たり的な対応ばかりで良くないのでは?迷うけど、迷ってる時間も子どもは待ってくれない。自分で気分を切り替えていかなくてはならないのもつらい。
そういう感じの毎日なので、何だか自分がやりたいこととか、好きなもののこととか、わからなくなってきた。たまにひとりになる時間を得ても、何もしたいことが思い浮かばない。なにか心動かされるものを欲している気はするけれど、出かける気力もなかったり、たまに人と会ってももともと話し下手なのに子どもとしかしゃべってないから頭がばかになっててろくに話せなかったり。悲しい。
きれいなもの見たい。元気出したい。
2歳
子どもが2歳になりました。
1歳からの1年は早かった!歩き出し、喋り出し、大人と同じものを食べ、と目まぐるしい成長を遂げたにも関わらず、そのことに感激する暇もなくバタバタと過ぎていった感じがする。0歳からの1年は小さな変化もいちいち記録していたのに。
身のまわりのお世話だけなら赤ちゃんの頃より楽になった部分は大きいのだけど、今後は社会の中で生きる人として、いろんなルールを教えていかなければいけない。世の中には、やらなければいけないこと、やっちゃいけないことがあるんだよと。家の外で遊ぶようになれば、他の子どもたちとの交流も必然的に増えてくる。家の中とは違う人、違う状況、違うルールがある。おもちゃは独り占めしてはならない、他の子が持っているものを無理やり取ってはならない、他の子を押したり叩いたりしてはならない、夕方になれば帰らなくてはならない、帰ったら手を洗わなくてはならない、etc...
いやこれ…果てしないな〜〜。現状何を言っても「やだないの」な人に、理解してもらえないとしても、言い聞かせなければならない。大変すぎる!
子どもの気持ちもわかる。
今まで自分こそ秩序、と思っていたけど、どうも人間の世界ちゅうのは自分の外に秩序があるらしいやんけ。しかしそんなことわかってたまるかい!お前らわしのために動かんかい!わしが世界の中心じゃあ!
という感じなんだと思う(勝手に代弁してごめんね)。
そりゃそうだ、今まで何をしてもわーかわいいきゃーすごいよくできたね〜と褒めてくれたのに、急にあれこれ言われたら腹も立つ。親からしても正直無茶なことを強いてると思う。
でも親からしてもあなたの急激な成長に戸惑っているのです、急に人らしくなってしまったからこちらもあたふたなんです。
そもそも、親であるわたし自身は、世界の規範を、道徳を、秩序を、正しく理解しているのか?はっきり言ってまったく自信がない。正しいらしきことしかできない。もっとこう言うべきだった、こう対処すべきだったと反省する時間もなく、また次の問題が起こる。その場その場で瞬時に、最善の判断を下さなければならない。
自分の判断力のなさ、頼りなさ、その他もろもろ、今までの人生でサボってきたツケが今まさにどっと来た感じだ。凹むけど、必死に考えながら、必死に動くしかない。
子どもには、人間3年目と母3年目の同期ペアとして、何とかこの大変な時期を一緒に頑張って乗り越えていただけたらと、力不足な母は思っています。