どうでもよくない日記

とりとめない日記です。

想像力のはなし

「自分がされて嫌なことは、人にしちゃいけないよ」

というのは、子どもをしつける際の常套句だけれど、
それに対して、自分は同じことされても平気だもん、
みたいなことを言い返してくる子がいる。
 
実際人を傷つけた(傷つけうることをした)という事実をスルーして、
「自分」の問題にすり替えてしまう。
視野が狭く経験も多くない子どもに対して、
「自分でない人」を想像させるのはきっと難しい。
屁理屈めいた反論を言いたくなるのも無理のないことかもしれない。
いろんな人生経験を積んで、いろんな人と会っていくうちに、
そうした想像力は身についていくのだと思う。
 
 
で最近、セクハラ野次が問題になって、
ネット上でもしばしばセクハラに関する議論が起きているのを見かけたのだけど、
ある時
「男性は、妻や娘がされていたらどうか、と想像するとピンときやすいらしいけど、
そうではなくて、自分自身が同じことをされてどうなのか、考えてみるべきではないか。
そうでなくては根本的に理解できてないのと同じ」
というような意見に対して
「ぼくは女性じゃないから性的なことされても(言われても)別に平気ですよ」
的な発言が散見されて、いい大人が子どもと同じこと言ってる…と驚いた。
 
要は
「わたしはあなたじゃないから同じことされても平気です、
だからあなたも平気なはずです、いや平気であるべきだ」
って言ってるわけで、むちゃくちゃだ。
 
あなたにとっては「こんなことくらい」なのかもしれない。
でもだからと言って、「こんなこと」で済ませられない人がたしかにいるという事実を
スルーしていいわけではない。
 
(そもそもほんとに平気なのかどうかも怪しい。
まったく性的関係にないどころか親しくもない相手に、
プライベートな性のこと、体のことをズケズケ言われたり、
勝手に品定めされたりしても、ほんとに、ほんとに何とも思わないのだろうか?)
 
それと、平気だ、ということは、強さや正しさとイコールではない。
いつも平気でなければいけない、
平気でなくても平気なふりをしなければいけないなんてことは決してないはずだ。
誰だって、傷つけられたら傷ついたと言っていい。
「こんなことくらいで騒ぐ方がおかしい」なんて口封じは、誰のためにもならない。
ただ息苦しくなっていくだけだ。
 
 
 
わたしはあなたじゃない。
「だから考えたってわからない」
ではなくて、
「だからこそ想像力を働かせ、思いやらなければいけない」
をわたしは選びたい。