どうでもよくない日記

とりとめない日記です。

わたしはどちらかというと鈍いほうの人間で、人から向けられた気持ち(良い悪いにかかわらず)に気づかず、のちのち悔やんだことが何度もあります。
当然ながらコミュニケーションはことばだけでできている訳ではなくて、動作や振舞い、対面でなくモノや他の人を通したやりとりもあります。その各種コミュニケーションの積み重ねで関係を築いていくわけですが、家族や恋人といった近しい間柄であるほど、やりとりが簡略化されていくことがあります。相手を大きなイメージの枠の中でとらえがちで、細部の変化には無頓着になる。たまたま変化に気づいたとしても、声をかけるのが照れ臭くてわざと気づかないふりをすることもあります。
でも、例えば髪を切った、とか、部屋のカーテンを変えた、とか、はたから見れば些細なことでも、そこには意味と意志があるのです。たしかに必ず伝えなければならないような重大な事柄ではないけれど、気づかなければ、あるいは自分には関係ないことだと思ってしまえば平行線のまま。気づき、投げかけられた意味と意志をくみとることで初めて相手と共有できる。
変化した(あるいは何かを変化させた)相手のことに少し気持ちを寄せる時間は、日々の暮らしの中でけっこう必要なのではないかと思います。自分の狭い視野の中だけで行き詰まってしまっている時こそ、特に。

でもまあ、照れ臭いです。女友達に「髪型変えた?かわいいね」のひとことがもっと上手く言えたなら、という想念に過去何度襲われたことか。周囲からの投げかけに対して敏感で、かつちゃんと反応して感想を言ったりお礼を言ったりと、スマートに振舞えたら、カッコいいな。それができる人はオトナだなと思います。自分の世界だけで手いっぱいなコドモとは違い、ちゃんと他者の世界へのまなざしを持てる人なのでしょう。
わたしはまだまだ修行が足りません。身近な大事な人にこそ、丁寧なやりとりを心がけねば。