どうでもよくない日記

とりとめない日記です。

雪どけ

わたしは雪の多い地域で暮らしています。
この冬は全国的に雪に振り回され、大変な被害もありましたが、わたしの住んでいる地域は降雪量としては平常どおりでした。最近は気温もわりと高く、ようやく日も長くなってきたように思います。
きょうは朝から天気がよく、久々に体を動かしたくなり、雪のまだ残る道を散歩してきました。
もともとほとんど雪の降らない暖かな地域出身のわたしですが、こちらに住むようになって身に染みてわかったことがいくつかあります。

人は日に当たらないと腐る

そのままです。雪国、特に日本海側の地域というのは冬はほとんど日の光を浴びることができません。連日当然のように降り続く雪、そうでなくてもどんより曇った空。誇張ではなく毎日が灰色です。さらにドカ雪の日は出かけたくても一苦労で、必然的に家に閉じこもるようになります。心は荒みます。これはもう抗えない。
ごくごくたまに、数時間だけ現れる太陽がどれだけありがたいことか。太陽は、寒さで縮こまり湿気でかびの生えた心を、日干ししてくれるものです。
日が差さないのも雪が降るのも、もう人間にはどうしようもないこと。家の中の環境をできるだけ快適にして、荒んでいく心をごまかしごまかしやり過ごすしかないと思います。

雪はほったらかしにできない

当たり前ですが、大量かつ連続的に降るので、ただ溶けるのを待つという訳にはいきません。雪をかき、除雪車に雪をどけてもらい、消雪パイプに駐車場の雪を溶かしてもらわねば、暮らしが成り立ちません。それに伴う労力、コストは相当なものです。暖かな気候の土地で暮らしていた頃は考えもしなかったことです。なぜこうまでしてここに住んでいるのかな、という気持ちになることもあります。慣れないうちはこういう気持ちにずっととらわれがちで、つらいです。
でも、人間が生活する上で、こういう「何も生み出さないけれど、しなければならないこと」というのは、案外たくさんあるように思います。

春はすばらしい

もうだめ、これ以上日に当たらないと腐る、根腐れを起こして再起不能になる、と思い始めるちょっと手前で、ようやく雪が溶け始めます。ずっと雪(といっても決して真っ白ではなく排気ガスや泥で薄汚れた塊です。山の中や田んぼなどはともかく、町の中の雪は決してきれいなものではありません)に覆われていた地面から、かすかに緑が見え始めます。スーパーにうどやこごみやわらびなど春の山菜が並び始めます。
春はすばらしいです。太陽が出てる。緑がきれい。花が咲く。鳥が鳴く。いちいち雪かきなんてしなくても出かけられる。
それまで季節を気にする柄でもなかったくせに、こちらに来てからわたしはすっかり春を愛する人になりました。


きょうは歩いていて気持ちの良い陽気でした。川の水面がキラキラ輝いて、まぶしく感じました。まぶしいという感覚すら、久しぶりに感じると、とても尊いもののように思えるのが不思議です。
今年の冬もさんざん心は荒みましたが、こうして春の喜びを知るたびに、回復してしまいます。だから暮らしていけるのです。
冬は、「どうしようもなく受け入れなければならないこと」で、それでも「必ず光さす時はくる」という、そういう季節なのだと思います。